万事、塞翁が馬

人生の幸・不幸は予測しがたい。最後に立っていたやつが勝ちさ。京都で酒造ベンチャーをやっているよ。

2020東京オリンピックについて

すごいドロ船になっており、関わったもの全員が不幸になる「全損」「禍づ神」といった言葉しか浮かばない。

むしろ感動的である。「人間が苦難を乗り越える姿で感動を届ける」という総理の言葉はそういう意味なのか?俺が関係者、責任者なら素面でいられない。酩酊するほど酒飲んで勢いで首くくりかねない。

もちろん「やりたい」って自分から手を挙げて誘致して契約して、すごい金をぶち込んで、無理言って延期してもらって、今更中止できないのはわかる。開会式も中止したら違約金を払うことになるそうだ(だからってあのクソの作った曲を使ったら理念の冒涜なんだけどな)。

僕はスポーツに興味がない人間なんで全く理解できないんだけど「「オリンピックだから」と言えば何しても有権者は理解してくれる」とどうやら政治家と官僚は思っていたみたいで、いまだに思ってるみたいである。大盤振る舞いした結果、首が回らなくなってる。

「安全安心の大会」というフレーズを繰り返しているが、安心は気持ちの問題であり、安全は科学の問題である。
安全な大会の実施が可能なのか、そのための各対策の評価は専門家にしかできないのでおいておくとしても(現段階でボロクソに言われているが)、国民の気持ちを落ち着かせる安心の方は政治家の仕事だろう。
菅総理は「安全安心のオリンピックを実現する」と言ってる。これがわからない。去年あれだけ被害を出したウイルスが変異して超強力になって感染爆発を起こしている中でのイベント開催は不安しかないわけだ。本人がどれくらい本気で行けると思ってるのかすらわからない。

安心と信用の違いというのを心理学者が以前解説していた。

 安心:保証する仕組みがある時の感情。
 信用:無条件に信じること

自動車の運転には事故を起こす危険性が存在するがそんなときのために保険に入っている。返済が滞った場合はヤクザが取り立てに来る、客が行儀の悪いことをした場合は裏から怖いお兄さんが出てくるなどの「仕組みによる保証」が「安心」。

安心をうたうなら「万全な感染対策」とやらの中身がどうなのかを示さないといけない。バブルになっていて全員が収容・隔離され、バブル内部には多数のバブルがあってチーム以外とは接触しないようになっている、感染は早期に発見でき、発見した場合はそのバブルを閉鎖するので全体が守られる等。そういう仕組みが説明されれば「ああ、これなら確かに安心だ」という風になる。次の冬のオリンピックでは間違いなく中国はそうするだろう。

そういう仕組みが「ない」「作れない」または「機能するわけがない」と思われてる以上、総理が言うべき言葉は「安心」ではなく「信用」の方だろう。

「たしかに困難に直面しているし、課題はいっぱいある。前門の虎 後門の狼。国難だ。だが俺がなんとかする。信用してほしい。政治生命をかける」バーン

って打ち出せば「まぁそこまで言うのならやらせてみるか」という感じになる(かもしれない)。それはレトリックでしかないかもしれない。言葉だけで実効性はないかもしれない。一部の人しか信じないかもしれない。

でもオリンピックというのは世界的なイベント、特別なイベントであり、「オリンピックだからな。しかたないな」と思う人が確実に一定数いる。決まったとき「オ・モ・テ・ナ・シ」マネをみんなしてたじゃん。そいつら共犯じゃん。

「人流を減らすのが大事だ。せめてオリンピック期間中だけでも」

という世論になれば官民挙げてオリンピックを成功させるという方向性があったはずなんだ。

安倍総理が倒れて非常時だから空白を作らないために官房長官から格上げされたわけだ。自民党の長老たちだけで談合で決まったけど国民も追認した。感染対策を求められたからだ。それができないならもう政治家として終わりなんだ。

政治生命はかかってるわけじゃん。だったらフカシこくくらいすればいいのに。金もかかんないしさ。なんなら「もう内心ではあきらめてるんじゃないか」と勘繰ってしまう。