万事、塞翁が馬

人生の幸・不幸は予測しがたい。最後に立っていたやつが勝ちさ。京都で酒造ベンチャーをやっているよ。

大学入試改革は公平に粛々と決めてほしいものだ

年上の従妹の息子たちが大学生になった。年取ったなぁと思った。そういえば来年は年男だ。わかってはいたけど、中年だなぁ。
大学入試改革のニュースを見て、ちょっと前までは他人事だったんだが、周りで進学の話題が増えると他人事と言ってもいられないかなぁ。


「いい大学を出ていい会社に入れば一生安泰だ」という考え方は根本的に間違っている。会社というものをわかっていない。会社は営利目的の組織なので従業員の一生の面倒を見たりしない。村や共同体とは違うのである。


しかしだ、プログラマなどの能力が可視化される職を例外として転職は履歴書で評価されるのだから履歴書に書ける項目が多い方が有利だ
有名大学卒業で、有名企業で働き、語学その他の資格が充実してればよい転職ができる。そういう人は就活の段階でよい会社にいるので、転職は今より良い会社に行くのが目的になる。
「いい大学を出ていい会社に入れば一生安泰とまでは言わないが、会社が嫌になって辞めてもすぐ別の職につけるし、より良い条件で転職を重ねられるよ」
というのはおおよそ"一生安泰"でいいと思う。


これは日本がおかしいという話ではなく新自由主義の社会では学歴と収入はリンクする」という話で、アメリカは極端ではあるけど資本主義社会は全部そうだし、その傾向は強まる一方だ。なぜかというと"公平"だから。"差別はいけない"から。

学歴だけで年収や出世が決まる仕組みはアメリカで始まった。なぜアメリカで始まり定着したかというと人種差別があったからだ。人種差別をなくすという方向にアメリカが変わったことによって
「黒人である」
「女性である」
ユダヤ教徒イスラム教徒である」
といった理由で、能力があるやつを出世させなかったり年収を割り引いたりすると会社が訴えられるようになった。アメリカの裁判は負けると何十億円も払わされるので、会社は出世を客観的に説明できる理由(≒学歴)で決めるようになって、
「うちで働きたいんだったら大学はアイビーリーグを卒業してください」
「管理職になりたいんだったらMBA取ってください」
という仕組みになったので、履歴書に書ける項目を「キャリア」と呼ぶようになった。
「給料も出世もキャリアだけで決まるのが客観的で差別がなくて公平だ」と言われたら反論の余地がない。それが資本主義の国にどんどん広まった。

生きていくにはお金を稼ぐ必要がある。
人間の9割は働いてお金を稼ぐ「労働者」という生き方以外の選択肢がない。
労働条件が生活(=人生)を決める。


職がキャリアで決まる社会では、高校レベルの内容は理解してる事が前提で、大学・大学院は行った方がいいし、働きながら行くのも珍しくなく、数学とか語学とか能力を身に着けたいならまとまった時間を訓練に使う必要があるのでなるべく良い環境(=良い大学)の方が学習効率がよく、学生時代に多くのスキルを身に着けることができる。大学で学んだ技術や知識がそのまんま年収になる。


その社会人(労働者)生活のスタートとなる大学入試の信頼性が揺らぐというのは、消費税の数パーセントの話なんかよりもずっと、多くの人の人生に関わってくる。少なくとも合格・不合格は能力だけで機械的に決まってほしいものだ。運が絡む要素(博打)は人生にないに越したことない。