万事、塞翁が馬

人生の幸・不幸は予測しがたい。最後に立っていたやつが勝ちさ。京都で酒造ベンチャーをやっているよ。

西部邁の印象に残っている言葉

西部邁が死んで、野中広務が死んでちゃくちゃくと平成の終わりは進んでいると感じる。

野中広務の自伝は面白いというのは有名だけど、西部邁の面白さを語ってる人がいないように思える。僕も1冊も読んだことないので「西部ってのはこうだよ」なんて語れないんだけど、でも一時期西部がやってたCSの番組は見ていたんだ。西部邁・佐高信の学問のすゝめ

印象に残ってるのは、たしか愛を読む人の回で説明してた「古典的傑作の普遍的な条件」という話だ。古典的傑作と評価され歴史に残る作品には常に3つの条件を満たしていることが必要だ。

1.登場人物の心情が描かれ、胸を締め付けられる
2.シーンの論理的構成によりテーマが描写されている
3.細部の書き込みによりその世界が手に取るように読者に伝わる。

1がないと読んでてつまらない駄作、2がないと中身がない。12を満たしてるものはいっぱいあるんだが歴史の選別に耐えれずに淘汰されてしまう。狙ったか狙ってないかは別といて3が古典的傑作か否かをわける。

この本は戦前戦中戦後のドイツを、特に収容所の様子を丁寧に描いている部分の描写が素晴らしい。極限での人間の尊厳を描く論理的なテーマとは別に、登場人物の行動によって示される「ヨーロッパ人にとって文字が読めないということがどれだけ恥ずかしい事か」という事を描いているので古典的傑作である、
という話だった。

この3つの条件は非常にシンプルでかつ普遍性があり、僕が作品を見るときの評価基準の一つになっている。そしてこのものの見方は一生変わらないだろう。

今になって気づいたけれど西部邁も僕が私淑する師の一人だったようだ。ご冥福をお祈りする。