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万事、塞翁が馬

人生の幸・不幸は予測しがたい。京都の酒造ベンチャー"FLFS"の「名目上の社長」こと姉崎亮太の平凡な日常の記録。

妥協の産物

ベルニーニの彫刻の写真がSNSで回ってきた。
彫刻の中でもオッサンが女のケツさわってる部分だけを拡大した写真なんだけど、たっぷりと肉が付いているお尻に手を押し付けてるから指と指の間から柔らかいお肉がぷにゅーとなってるっていう写真。その質感をみんなが絶賛してた。
もちろんそれは大理石で出来てる。中世のヨーロッパに電動工具なんてない。
「ベルニーニが天才なのはわかるけど、すごい労力をかけてまで女のケツの柔らかさを表現したいか?」
とみんな思うらしい。

でもやっぱりベルニーニは天才で「マリア像が薄いベールを羽織ってるヤツ」とか写真で見てもぞっとする。
「妥協のない仕事ぶりってのはこういうものなんだな」って思う。

妥協しないことはいい事だとみんな軽々しく言いすぎだ。
天才が、最上の材料で、弟子いっぱい使って、何年もかけて1つのものを作る。それには膨大な金がかかるんだけどパトロンが全部出しちゃう。その環境があって初めて「妥協のない仕事」ができるわけだ。
(といってもその環境を用意されても仕上げないでほっぽりだすダ・ヴィンチみたいなヤツもいるわけだが。)

世の中にあるものはこういう一部の例外を除いて他は全部「妥協の産物」だ。
だって天才じゃないし、材料は予算が決まってるし、人手不足だし、何年もかけたりも出来ないしね。限られたリソースをもっとも効率よく使う。あきらめる所はあきらめて初めて商品が形になるわけだ。

「今の仕事をやめて妥協のないものづくりがしたい」
と口にするヤツがたまにいる。現実が見えてないだけだと思う(あえて現実を無視して無責任な事を言う遊びなんだろうけど)。
そういう考えのヤツはものにならないだろう。

僕はもっと上手に妥協したいと思ってる。本質的な部分じゃないところなら妥協できるはずなんだ。でも何が本質なのかよくわからないから「とりあえず手をかけとく」という事をしている。

妥協と無縁になることは一生ないだろう。それは受け入れてる。
だってベルニーニの彫刻を見て
「どんな環境を用意されてもオレこんな仕事できねぇ」
って思ったもん。